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「ここが……ねっとかふぇ、ですの?」
白衣の紳士の言う通り、しばらく歩くと、ネオンの数も随分と増えてきて、宿泊施設にしてはやや小さめの建物にたどり着きましたわ。
「ええと値段は……。なんですの、この複雑な料金表示は!」
さっぱりわかりませんわ! 三十分で三百円、十五分延長で百円追加ですのに三時間パックとやらは八百円……オールナイトパック(深夜八時間)は二千円しますし……。地上人の時間の価値は一定ではないのかしら?
「シベリア様、ここはオールナイトパック、次にいったん退出して別のパックで入室するのが一番適しているかと。そこの時計を見る限り、今は一一時。七時まではオールナイトパックでしのげます。次にまだ滞在する必要があるならば、考慮して時間にあったパックを選択すればよいでしょう」
「……ま、マロンが時計を読めている上に計算を……。あ、あり得ませんわ……」
わたくしがそう思っている間に、マロンはレジカウンターへ進んでいく。店員は女性一人だけですのね。宿泊施設にしては少し貧相ですわ。
「いらっしゃいませ」
「オールナイトパックをお願いできるかな?」
「あの、お客様、申し訳ありませんが、動物は当ネットカフェといたしましては……」
動物? わ、わたくしのこと!? これは盲点でしたわ!
「問題ない」
無理ですわよマロン! ここは一旦外に出て対策を練るべきですわ!
「いえ、私共といたしましては、あのような小動物でも、持ち込みは」
マロンは、店員にそう告げられると、自分の顔に手を近づけ、そのあとに店員の顔に手を近づけ、再び言いましたわ。
「なにも、問題は、ない」
「な、にも、問題、ない」
するとしばらくして店員の目が虚ろになってきましたの。
「なにも問題は、ない」
「なにも、問題、ありません」
そして店員は部屋の鍵と伝票をマロンに渡しましたわ。って、マロン! 貴女いつ催眠の天術を覚えたのですか!
「かなり狭いですわね。宿泊施設としては格安ですが、値段相当の部屋とは言いがたいのではなくて?」
部屋を見つけ中に入ると、そこは人一人ようやく入れる程度の大きさに、椅子と、たしか「てれび」という地上の娯楽ましんしかありませんでしたの。とりあえず、マロンは椅子に座り、わたくしはてれびの丁度いい棚のところに腰を掛けましたわ。
「シベリア様、それは誤解です。あなたは私を釣竿で釣り上げ、救助した時、私にこう教えてくれたはずです。『天上人を助けるために、地上人の知恵をお借りしたのです』と。つまり、この狭さも、地上人の知恵の一つと考えるべきでしょう」
……この覚醒したマロン、ちょっとインテリぶっている上に言うことが的確でやりにくいですわ。
「そ、そうですわね。わたくしの教えをしっかり覚えているとは関心いたしますわ。さて、貴方もお腹が空いていると思いますし、食事にしましょうか」
「そうですね。では、お言葉に甘えて」
「ですから、どこにクロワッサンを隠し持っているのですか!」
こういうところは普段と変わらないのですわね……。
「シベリア様も、一つどうですか?」
「え? ええ。では、いただきましょうかしら」
ありえませんわ……。マロンが食べ物を他人に譲るなんて。いつものマロンなら、食欲の権化といった感じですのに……。 やっぱり、今のマロンはおかしいですわ! たとえ、おバカで、お調子者で、めんどうくさがり屋で、大飯食らいでも、マロンはマロンなのですわ! そう、なんとしてももとに戻さなくては!
「マロン!」
「ほえ? なーにー シベリアー。今食べるのに忙しいんだけど」
「……え?」
「あー! どうしてシベリアがマロンのクロワッサン食べてるの!? というかここどこー!」
ああ、わかりましたわ。お腹がいっぱいになったから覚醒状態が自然に解除されたのですわね。なんというか……。とても分かりやすいですわ。
※※※
「そうかーやっぱり地上界まで落ちちゃったのか」
今、シベリアから今までの経緯を聞いたけど、どうやらマロンたちは地上界の宿泊施設「ねっとかふぇ」って言うところにいるらしい。あと、マロンが一時的にすごく賢くなっただのとか言ってるけど、マロンはもともと賢いんだから! 失礼しちゃうよね!
「でも、これからどうするの?」
「とにかく、救助が来るまでおとなしくしているほかありませんわね」
えー、せっかく地上界まで来たのに。いろいろ観光したりどーなつを探したりしたいのになー。……あれ、このボタンなんだろう。押してみよう。
「ちょっとマロン、聞いています……きゃ! て、てれびの電源を勝手につけないでくださいな!」
「てれび? このピカピカしてる薄い板の事? ……あ! すごい! 文字が映ってる! どうなってるのこれ!」
こんなの初めて見た! ちょっと厚いノートみたいなものに、様々なアイコンと小さな文字、そして白い矢印がぽつんと写っていた。
「ちょっと! 落ち着きなさいな! マロン、これはおそらく『てれび』というものですわ。地上界の人々はこれに写る映像を見て楽しんだり、情報を得ているそうですわよ」
「へえぇー『てれび』っていうのね! …あれ? でも下の説明文にはこれ、「ぱそこん」ってかいてあるよ」
マロンがそういうと、シベリアは「?」という表情をして、『てれび』の下に小さくついた説明文を読み始めた。
「本当ですわ。ということは、これは『てれび』ではなく『ぱそこん』というものらしいですわね。ええと、『いんたーねっと』の使い方? 『おんらいんげーむ』の選択方法? 『ねっとかんきょう』の設定……」
だめだなーシベリアは。こういうときは習うより慣れることも大切ですって、よくモモちゃんが言っていたじゃない……ということで、多分この矢印のボタンみたいなので矢印が動くはずよ! ……………ふ、ふふん! 違うと思ったわ。きっと画面にタッチするのね! …………。
「マロン、どうせ『習うより慣れろ』のようなことを考えて色々試していたみたいですけれども、こういった基本的な事は習うほうが数十倍良いことにいい加減気づくべきでしたわね」
そう言って、シベリアは『ぱそこん』の近くにあったネズミのようなものを動かし、インターネットと記されたアイコンに置いた。 しばらくして、画面がパッと切り替わって、さっき以上に文字がずらりと現れた。……さすがシベリア様。
「すごい! で、これをどうするの?」
「おそらくこれは、天界で言う書物の目次(インデックス)に近いものだと思いますわね。つまり、ここに文字を入れれば関連した情報が映し出されるとはずですわ」
なるほど! さっぱり分からないけど、そこに文字を入れればいいことは分かった!
「とりあえず今は、地上界にについて情報不足ですから『ふそく』とでも打ってみましょうか」
そう言ってシベリアは、空欄に『2ch』と入れた。……『2ch』ってなに?
「あれ? おかしいですわね。確かにこの文字盤で『ふそく』と打ったはずですのに。もしかして高度な暗号でも使われているのかしら」
そう言って、シベリアは『検索』と書かれた文字をネズミで指定した。すると、なんだかよくわからない文字列が色々と出てきた。ええと、「鬼女」? 「バイク板」? 「ギガマン爆死板」?
「……なんだか違う気がしてきましたわ」
「うん、マロンもそう思う」
マロンもいろいろ押してみたけど、さっぱり分からなかった。地上人って、ホントに高度な技術を持っているんだなー。
「おややや? 何かお困りですカナ?」
そうなの。この文字盤の使い方が全く分からなくて。……ん?
「……わぁ! 誰!? いつからここにいたの?」
「何を言っていますの? さっきから一人でひゃぁぁぁ!」
「シーット、お静かに。ほかのオキャクサンの迷惑になるでSHOW? だからここは小声で頼んまっせよ」
さ、さっきまで誰もいなかったはずなのに、マロンの後ろにいつの間にか全身を真っ黒な、前に読んだ地上の絵本に出てきたこわい死神みたいな服装をした女の子がいた。身長は多分マロンより一回り小さいけど……なんか目の下にも文字みたいのが書いてある。「E」「V」「I」「L」? なんて意味だろう。
「おっと、ビツクリさせちゃったみたいダネ。拙者は羽村茶莉依(はむら さりえ)ダゼ! よろしゅー! あんさん方の隣で、ネットサーフィンしてたんだケド、ちょっとお喋りのBGMがフルボルテージすぎるんじゃネェかってもんで、ちょっと気になったんだゼェ、マロンさん」
「どうしてマロンの名前を! まさか、ちょうのうりょくとかいうやつ!?」
「オイオイ、今もフツーに喋っちゃってんジャン!」
