第六章【地三】 よっしゃ見つけた! 捕まえるぜ! あ、でもお腹すいた
どこかの映画か何かで聞きそうな台詞だな。
「随分と気障な台詞だな。お前の目的はつまり、恋人か何かを探しに来たってことだろう」
「惜しいが、外れだ。彼女に対しては私の片思いだった」
ミハエルの答えに引っ掛かりを感じ、続けて聞く。
「だったと言ったな、過去形なのか?」
「残念ながらね」
ミハエルはひどく悲しそうな顔で答えた。まるで大事な人を亡くしてしまったような顔だった。
「もしかして、それはアザゼール様のことなのですか?」
シベリアがミハエルに聞く。心辺りがあったようだ。
「そういえば、君は彼女の部下だったか。その通りだよ」
ミハエルが答えた。シベリアの考えは当たりだったらしい。
そこでふと、アザゼールという名前が気になり、俺はシベリアに尋ねた。
「シベリア、アザゼールというのはどういう人なんだ?」
「わたくしがマロンの教官になる前に部下として仕えていた方ですわ。優しい方でしたが、禁書を持ち出して地上へ降りてしまい、地上で亡くなってしまった、と聞いています」
シベリアが答えた。そこで疑問が湧いた。シベリアの話通りなら、ミハエルは亡くなった人を探しているということになる。
「どういうことだ、ミハエル。お前は死んでいる人を探しているっていうのか?」
「いや、正確には、私が探しているのは器だ。例えるなら空へかかる梯子、とでも言っておこうか」
ミハエルはまた妙な言い回しで答えた。それだけならそのまま聞くところだが、急に突拍子もない考えを稲妻のようにひらめいた。
「星河恵美……」
無意識に呟いていた。おかしいのは自分でもわかっている。ここで彼女の名前が出る理由がない。しかし俺には妙な確信があった。これまで気にしないようにしてきたが、天上界から来たという天使に対して、俺は共通して既視感のようなものを抱いていた。まるで、よく似たものをどこかで見たような。そしてそれは、天上界と関係のないはずの星河恵美に対してもだった。そしてミハエルは星河恵美のことを知っていた。偶然と片付けるには出来すぎている。そう思ってミハエルを見ると、
「さ、さあ……ど、どうだろうね?」
激しく動揺していた。目が泳いでいる。どうやら突拍子もないひらめきは見事に的中してしまったらしい。
「さ、参考までに聞こうか……どうしてそう考えたのかな?」
「自分でもわからないが、俺はお前たち天使にどこかで似たようなのを見たと感じている。その感覚が星河恵美に対してもあって、お前が名前を知っているとなると、偶然にしては出来すぎだろ?それと何よりの証拠は、お前の反応だ」
俺の答えを聞いたミハエルは、何やら考え込んでいるようだ。ぶつぶつと、鍵がどうの、と言っている。目はこっちに向けていたが、俺はその目に得体のしれない悪寒を感じた。
「それより答えろ。お前は何を考えている。星河恵美に何をするつもりだ!」
「残念だが、それは言えないな。すまないが、私はこの辺りで失礼させてもらうよ。また会おう」
そう言ってミハエルは去って行った。
残された俺たちは皆だまっていたが、九道が手を叩き仕切りなおす。
「さて、そろそろ僕らも戻ろうか。少し遅いけど夕飯にしよう」
「ロールキャベツを作れ」
「マロン、どーなっつっていうの食べたい‼!」
「即答かあ……僕としては外食にするつもりだったんだけどなあ。それと、ドーナッツはお菓子だから、ご飯としては食べないと思うなあ」
「なんにせよ行ってから考えればいいだろう」
「そう言いながら一人だけスタスタと行ってしまおうとしないでくれよ」
「そうだそうだ!スバルんひどい!」
「そう思うならきりきり歩け。あとスバルん言うな」
マロンの非難に適当に返しながら、ミハエルについて考える。奴はいったい何をする気なのか、奴の目を見たときに感じた悪寒は……。なんにせよ、警戒しておいたほうがいいだろう。星河恵美にも注意を呼びかけたほうがよさそうだ。
「むう、スバルんおかしな顔してる。なにをかんがえてるの?」
「可笑しな顔とはなんだ、可笑しな顔とは」
現状ではわからないことが多すぎる。考えるのはこの辺りでいったん止めたほうがよさそうだ。まずは飯にしよう。
※※※
スバル達が夜空を見ていた場所から少し離れた所にある住宅地の道を、二人の人影が歩いている。それは星河恵美にそれぞれジブリール、アズラエルと名乗った人物だった。
「ミハエルを見つけ出すとは言ったものの、どうにも見つかりませんね」
「この近くに居るようなのは確かなんだがな……」
二人は焦っていた。ミハエルを見付けられなければ、最悪取り返しのつかない事態になることに気付いていたからだ。しかし焦る気持ちとは裏腹に、ミハエルは見つからない。
ミハエルの行方を考えていて不注意だったのか、ふと前方から歩いてきた人とぶつかってしまった。
「っと、すみません。考え事をしていたもので」
「いえ、不注意でいたのはこちらも同じです。お気になさらず」
謝罪をして通り過ぎようとして、二人は違和感に気付いた。今の声は聞き慣れたものではなかったか?
二人はすかさず振り向き、声の主を見る。向こうもこちらに向いていたようで、ちょうど顔が見えた。相手は驚いたような顔をしていた。恐らく、自分たちも同じような顔をしているだろう。なぜなら、
「「ミハエル⁉」」
「そっちはジブリールと、アズラエルか⁉」
今まさに探しているミハエルその人だったからだ。
三人は思いがけない出来事にしばし呆然としていたが、先に我に返ったのはミハエルだった。すぐに振り返り、走りだした。
「って、待ちなさい、ミハエル!」
二人も慌てて追いかけるが。
「まだやらねばならないことが有ってね。捕まるわけにはいかないな。それと事故で落ちてきてしまった天使を二人見つけた。手を貸してあげるといい」
「何?しかし、お前が先だ。おとなしく捕まれ」
「遠慮しておこう。すまないが、さらばだ」
そう言ってミハエルはスピードを上げる。しだいにミハエルと二人との距離が離れていく。角を曲がった所で、振り切られてしまった。
「取り逃がしてしまいましたね……」
「だが、この辺りにいるという確証は得られた。次こそ捕まえるぞ」
「勿論です。今度は逃がさない……!」
二人はミハエルの捜索を続けようとする。そこでぐぅ、と腹の虫が鳴った。
「あっ……」
ジブリールは恥ずかしさのあまりアズラエルから目をそらす。
「その前に、飯にするか」
「すみません」
「気にするな」
二人はミハエルの捜索を中断し、飲食店へ向かった。
※※※
走りながら後ろを振り返る。アズラエルとジブリールの二人を撒くことができたことを確信し、私は足を止めた。
危なかった。あの二人は最初から私を捕まえに来ていた。恐らく既に、私の目的に気づいているのだろう。そして、私の計画を阻止するために私を捕まえに来た。私がアレを持ち出したことに気付いた時点で、私の目的が生命の摂理に反するものであることは容易に分かったのだろう。だから最初から、四大天使の内二人も動員して私の計画を阻止しようとしている。想定していなかったわけでは無かったが、やはり対応が早い、手ごわいものだな……
だが、弱音を吐いている暇は無い。漸く此処まで来たのだ。アレを手に入れ、器を見つけて、遂に最後の鍵も見つかった。やっとだ、やっと計画を実行に移すところまで来たのだ。此処まで来て邪魔などさせるものか。何が何でも目的は果たす。たとえそれが世界の理(ことわり)を歪めることになろうとも、私は彼女を、アザゼールを甦(よみがえ)らせてみせる。
※※※
初めてアザゼールと出会ったのは、私がまだ、中級天使だったころのことだ。当時、昇格試験のための勉強をする傍らに小高い丘で星空を眺めるのを日課にしていて、その日も星を見るためにいつもの場所へ歩いていた。丘は都市部から離れていて、滅多に人が来ることはなかったが、その日は珍しく、先客がいた。いつもだったら気づいた時点で他の場所へ行くようにしていたのだが、その日はなぜか、言葉を交わしてみたいと思い、人影へ歩いていった。
近づくにつれ、人影の容貌が露わになってきた。どうやら先客は、女性だったようだ。そして女性の容姿がはっきりと見える距離まで近づいたとき____
私は魅入られていた。月明かりに照らされた横顔。風にたなびく長い髪。まるで高名な芸術家の作品のような、美しいという言葉では言い表せないような光景が、そこには在った。たぶん、一目惚れをするということは、こういうことなのだろう。
どれだけの間見とれていたのだろう。彼女はこちらに向き直り、透き通るような声で言った。
「今晩は。星は好きですか?」
それが私と彼女、アザゼールとの出会いだった。
それから、私と彼女はほとんど毎日会ってはいろんな話をした。勉強のこと。星のこと。最近あったおもしろい出来事。大事な話からどうでもいいようなことまで、思いつく限り何でも話した。
アザゼールは私と同じ、中級天使だった。お互いに勉強を教えあったことも、幾度となくあった。
彼女と出会ってから、私の中心は彼女だといっても過言ではなかった。この幸せがいつまでも続けばいいと思っていた。
だが、そうはならなかった。私と彼女が四大天使の一員と呼ばれるようになってしばらくたったある日のことだった。彼女から大事な話があると言われ、彼女と出会った丘へと来ていた。
「ミハエル、私好きな人ができたんだ」
アザゼールが言った。正直、思うところが無い訳ではなかった。好きな人から想い人がいると言われたのだ。目の前が真っ暗になった。だがそんな思いは、彼女の顔を見ると無くなってしまった。彼女は、とても綺麗な顔をしていた。恋をする乙女の顔。自分がこれまで、一度も見たことが無い顔。
敵わないな、と思った。自分でないのは、悲しいけれど。彼女が幸せになれるならそれでもいいと思ってしまった。だから、
「そうなのか。けど、なぜそれを私に?」
努めて平静を装って聞いた。自分の中で認めてしまった以上、彼女に無様な姿は見せたくなかった。
「実は、私が好きな人は地上界に住んでいるんだ」
一瞬何を言われたのかわからなかった。天上界の生き物と、地上界の生き物は、必要以上に関わってはいけない。それは誰もが知っている絶対の戒律だったからだ。彼女はそれを犯そうとしていた。
「それで、地上界の人間との間には子を宿すことは出来ないから、禁書を一つ、持っていくつもり。だから、もう会えないと思うから、ミハエルには、伝えておきたかったんだよ」
そう言って彼女は微笑んだ。
「そう、か……四大天使の一員としては止めるべきなんだろうけど、ミハエルという個人として言うよ。間違いなく君は苦労をすると思う。でもどうか、幸せになってくれ」
自分でも驚くほど、自然に口に出していた。たぶんこれが、私の本心だったのだろう。
「ありがとう、ミハエル。さようなら」
「ああ、さようなら、アザゼール。どうかお元気で」
私は微笑んで、彼女を送り出した。彼女の幸せを願って。
※※※
それから年月がたった、ある日のこと。アザゼールが変わり果てた姿で発見された。死因は他殺。戒律を破った罰として殺された。私は生まれて初めて神と世界を怨んだ。そして彼女を生き返らせる、その為にどんな手でも使うことに決めた。それが生命の法則を乱す、大罪であることは知っている。成功しても失敗しても、私はいずれ罰として殺されるだろうことも知っている。成功したとしても、彼女は喜ばないだろう。それどころか、私を怒るだろう。でも、それでも。
「私は彼女に、アザゼールにもう一度逢いたい」