第二章【地一】 プラネタリウム職員だけど、星がめっちゃ嫌いです
「星を見ると、不思議と心が安らぐんだ。お前さんもそう思わないかい?」
とある日のことだった。人があまり多くないプラネタリウムで一人の男が俺に言葉を投げかけた。歳は見た目三十後半。ヨレヨレになった白衣を着て、黒い髪をオールバックにまとめ、顔には少し髭が生えている。少しだけ頭を掻き毟りながら語る男の名前は九道総一郎。不本意ながら知り合いだ。
「知らない」
「お前さんの専攻も確か天文学だったろうに。興味ないってことはないだろう?」
「奥さんに逃げられているのを何とかしとけ」
「痛い所突くね……まぁ、その内戻って来てくれるさ」
そう呟きながら、九道はほとんど埋まっていない席の内の真ん中を陣取って、何も映し出されていない天井を見上げていた。
当たり前のことながら、プラネタリウムは機械によって星を疑似的に映し出す。今は電源を付けていない為、いくら天井を見上げていようとも星が現れることはない。
「ところで、僕は常々君の名前が羨ましいと思っているんだ」
「親が勝手につけただけだ」
「それでも、竜ヶ崎スバルって名前は十分に羨ましい。静かに、それでいて駆け抜けるように燃える星々が集まるプレアデス星団の和名である昴。そこから名付けられたのかと思うと……」
「考え過ぎだ」
興奮気味に語る九道の言葉に、俺は思わず溜め息を漏らす。
九道総一郎の専攻は天文学だ。星のことについて語らせたら、今のところ九道以上に語れる人間はいないだろう。正直、その一点に関しては尊敬している部分とも言える。少々力の入れどころを間違えているのが気になるところではあるが。
対する俺は、父親がプラネタリウムの館長を勤めていて、幼少期からその話を聞いていただけだ。それ以外だと大学で話を聞いた位。九道は准教授に至る程に研究を重ねていたが、俺はそこまでやる気にはならない。
「詳しく勉強すれば、お前さんもいい学者になれるのに……」
「九道みたく堕落したくはない」
「学者が基本的に堕落しているように思われるのは心外だなぁ」
「特別だ」
「そりゃありがたいことで」
特に気にした様子もなく、九道は俺の方を見ることもなく、そのまま天井を見上げていた。その目には、満天の星空でも浮かんでいるというのだろうか。九道に倣って俺も隣の席に座り、天井を見上げてみる。
「……何も映ってない」
もちろん、どれだけ見上げても白い天井のままだった。
※※※
竜ヶ崎スバル。父親が日本人で母親がイギリス系アメリカ人。そんな二人から生まれた俺は、外見からも分かる通りハーフだった。栗色の毛は癖っ毛となり跳ねていて、身長も周りと比較してみたら高い方だ。自己評価ではあるが、筋肉もそこそこ付いている方だと思う。目が悪い為、眼鏡かコンタクトのどちらかを付けている。年齢は二十を過ぎた辺り。
大学を卒業した後、父親が館長を勤めているプラネタリウムの職員として働いている。その為の資格は大学の方で取ってきてあるし、息子だからと言って優遇してもらったわけでもない。通るべき道はしっかりと通ったつもりだ。
だからと言って、とりわけやりたいことがあったわけではなかった。甘え、と言われてしまえばそれまでかもしれない。だが、どうせ仕事にするなら自分が知っていることの方がやりやすい、と考えたからここにした。
九道とは大学で知り合って以来、俺がプラネタリウムの職員を勤めていると分かると距離を縮めてきた。それだけ九道は星オタクと言えるかもしれない。
「それにしても、お前さんは本当に不思議だね。今まで何人か見てきたけど、お前さんみたいに透明な人も珍しいよ」
相変わらず天井を見上げながら、九道が話しかけてくる。
透明、とは一体何のことだろうか。俺には九藤の言葉の意味が分からなかった。
「何処までも透明なんだよ。人って何か考えを持っているはずだ。だから何処かで色を持っている。お前さんにはそれがない。筋道はしっかりしている癖に、お前さんは『自分』を持っていないのかい?」
「『自分』……」
今まで生きてきた中で初めて言われた言葉だ。俺の中ではそれなりに自分の生き方を定めてきたつもりだった。だが、九道から見れば、俺は『透明』らしい。
「スバルという名前の通りに静かに燃える生き方をしていながら、少し勿体ない。お前さんも何か新しい刺激を見つけたらどうだい?」
「九道に言われたくない」
「心外だなぁ。僕だってお前さんよりは長く生きている以上、大人として言えることだってあるんだけどなぁ」
頭を軽く掻きながら、溜息交じりに言う九道。
新しい刺激。そんなもの、特に必要としていない。ただこうして穏やかな時間が流れればそれでいい。好きでも嫌いでもない星を眺めて、その中に身を投じることが出来れば満足。
「さて、そろそろ星を映し出してくれないかい?」
「さっきまで見ていただろう」
「妄想の中に浸るのも悪くはないけど、やっぱり実際に見る方が楽しいからね。よろしく頼むよ」
「……分かった」
言われた後、俺は席を立って機械の方まで歩み寄る。電源を付けたり、微調整をしたり、やるべきことはたくさんある。
程なくして電源を入れ終えた俺は、大部屋の電源を落として、暗くした。そして、今まで白かった天井を夜空に変えるべく、スイッチを押した。
「……やっぱり、ここのプラネタリウムは最高だね」
星を見る時にしか見せない無邪気な笑顔を見せながら、九道は天井を見上げていた。機械の調整を済ませた後で、俺も九道の隣に座り、何度も眺めてきた光景を見つめる。
ここの星に変化はない。そのことは、九道も俺も分かっていることだ。だから、少しだけ安心する。
確かに外の夜空は美しい。どれほどプラネタリウムが精巧に空を真似ていたとしても、夜空に勝るものはないだろう。だが、俺は夜空を見る度言いようもない不安に駆り立てられる。変化しないことを望むのは、そんなに悪いことなのだろうか。
「けど、僕としては本当の夜空も見たいな」
「……」
何処か心を見透かされたような気分になり、思わず身体がこわばってしまう。だが、道にそこまで人の微妙な動きを捉える力がないことを思い出し、すぐに安堵の溜息をついた。もし九道が心の動きや考えを見抜けるのだとしたら、今頃奥さんに逃げられたりはしないだろう。
「今とても失礼なこと言われた気がする」
そういう勘を働かせることだけは勘弁してもらいたい。