
※※※
「……で、そろそろこの白装束に翼っていう奇特な格好をしている御仁に、諸々の説明をしていただきたいわけだが」
「ちっとも起きてくれないねぇ、この人」
簀巻き状態で天井に吊されているこの四大天使が筆頭を見つめ、俺と九道は呟く。この天使、目を覚ます気配が一向にない。捕まえる時にそこそこフルボッコさせてもらったので、多少は気絶していてもおかしくはないのだが……こうも長時間眠り続けられるのはさすがに困る。
「少し手荒な手段取りすぎたかもねぇ」と九道の意見だが、あの時は状況が状況だっただけに仕方がない。それにまさか最高クラスの天使が、あんなにあっさりと意識を失うなんて思いもしなかったんだし。
いっそもう一回頭殴りでもしたら目を覚ますだろうか。そんなことを本気で考え出したその時。
「ならば俺達が説明させてもらおう」
「なんだかんだで、ほとんど役目取られちゃいましたしね」
ミハエルと同じ、白装束に六枚の翼を持った謎の二人組が、突如姿を現していた。え、なにこれ。事象干渉?
「あ、アズラエル様にジブリール様!?」
「え!? う、うそうそなんでなんでなんで!? なんでお二人がこんなところに!?」
「む、君達は……そうか。君達がミハエルの言っていた、事故で落ちてきた天使二人か」
「だいぶ苦労したようですね。けどもう大丈夫。私達と合流した以上は、責任を持って天界まで連れて帰りますよ」
「ミ、ミハエル様に続いて、アズラエル様とジブリール様にまで出会えるなんて……もうマロン感激……。このまま死んじゃってもいいかも……」
「ちょっとマロン。目がハートになってますわよ。もっとしっかりなさい! アズラエル様達の前でみっともない!」
するとシベリアとマロンが急に大声を出してきて、二人と会話を始めた。会話から察するに、どうやら他人というわけではなさそうだが……? 待て。アズラエルにジブリール?
「ってことは、お前達があの例の残りの四大天使っていう? つまりはこいつの仲間か?」
と、俺はミハエルを指さして二人に問いかけた。
「その通りだ。どうやらある程度の説明は、シベリア達からしてもらっているようだな」
「この度は誠にご迷惑をおかけしました……四大天使――いや、天界を代表して、心からお詫びを申し上げます」
俺の質問に、どこか尊大な態度で頷くアズラエルと、丁寧に頭を下げて謝罪するジブリール。ふむ、この二人は色々と事情通らしい。先ほどの発言からして、恐らくこれからなぜこんなことが起こったかの説明もしてくれるのだろうが……。
「なぁ、重ねての質問になって申し訳ないんだが……お前ら二人、何食べてるんだ?」
「見てわからんのか。ケバブだケバブ。ドネルケバブ」
「なかなかおいしいですよ、あなたたちも食べますか?」
この二人、片手にケバブを持って、どこか優雅に舌鼓を打っておられる。いや、そうじゃなくて、俺としてはなぜこの状況で、そんなものを食べながら現れたのかということなんだが……。
「腹が減っては戦はできんというだろう。人間でも天使でもそれは同じだ」
「ちゃんと食べれる時に食べておかないと、いざ何かが起こった時に、ちゃんと対処できないかもしれませんしね」
と四大天使二人の言だが……なんだろう。別に天使連中に夢や希望やロマンを見ていたわけではないが、なにか色んなものが一気に崩れ去る音が聞こえてきた気がする……いや、でもそれも今更か。天使云々で言うのなら、そもそもマロンという女の時点でいろいろとアレなわけだし。
「あ、あなた達は……」
「こちらは久しぶりだな、メグミ。元気にしていたか?」
この映像、世の宗教者の方々が見たらなんと言うんだろうか――などと俺が考えていた矢先、恵美も近づいてアズラエル達に話しかけていた。どういう縁があったのかは知らないが、この三人も知り合いのようである。
「は、はい……でも、どうしてあなた達までここに?」
「なに。そこで縛りつけられている大馬鹿野郎に、少しばかり用があってね」
そうアズラエルが言うと、ジブリールの方はどこか寂しそうで、悲しそうな眼差しをミハエルに向ける。その視線には一体どんな意図が込められているのだろう……いや、確かに自分の同僚のこんな惨めな姿を見たら、そりゃ多少はと思うが、ジブリールの目はそういったものとは少し違う気がする。
「えぇーと……ちょっと待ってくれ、みんな。そうあちこちで話が展開されたら、まとまるものもまとまらないよ。何が何だかちんぷんかんぷんだ」
と、今まで若干置いてきぼり感のあった九道が、ぱんぱんと手を打って皆に呼びかけた。
「みんなの気持ちもわかるけどさ、ここはいったん落ち着いて、アズラエルさん達に説明してもらうとしようよ。それぞれの話をするのは、それからでも遅くないだろう?」
落ち着きを払った九道の言葉に、皆が押し黙り、場が一気に静かになる。さすが大学の講師を務めていることもあって、こういう事態にはそこそこ慣れているらしい。
「いや、もしくは亀の甲より年の功ってヤツか?」
「褒め言葉として受け取っておくよ。それとお前さんも、少し黙っててね。絶対話が脱線することになるから。
それじゃアズラエルさん、ジブリールさん。慌ただしくてごめんね。今から説明をお願いしたいんだけど……いいかな?」
「もちろん。そうでなくては、話も進まないでしょう」
柔和な笑顔を浮かべて、そう答えるジブリール。語り部役は彼が務めるらしい。
「それでは、これから説明をさせていただきます。
なぜ私達がこの地上に降り立つに至ったのか。
そして、なぜミハエルが己の地位を捨ててまで、無断で地上に降りてきたのか……」
※※※
そう。それは、たった一つの恋が生んだ禁忌。
誰もが誰かを想い、共に在りたいと願い。
――故に他が見えなくなり、嘆きを生むことになった。
禁じられた、恋の物語――
かつて、天界には一人の天使がいました。
その名はアザゼール。当時の四大天使の一人であり、私やアズラエル、そしてミハエルの同僚でした。
仮にも天使である私がこう言うのもどうかと想われるかもしれませんが、アザゼール……彼女は誰よりも天使に相応しい女性でした。
至高とまで謳われた天術の冴え。ミハエルと同等の腕に至るほど卓越した武技。更に誰にも分け隔てなく優しく接し、慈愛に満ちた振る舞いを見せるその姿は、他の天使達はおろか、数多の精霊、ひいては我らが主である神からも賞賛されたほど。そんな彼女と肩を並べることができる自分は、なんと幸せなのだと思ったものです。
――えぇ、そう。もしかしたら、私は彼女に想いを寄せていたのかもしれません。同僚ではなく、一人の女性として見ていたのかもしれない。
そこにいる、ミハエルのように――
ですが、私も彼も、彼女に想いを告げることはできませんでした。なぜなら私はこの通り不肖の身で、とてもではありませんが、彼女には到底釣り合いません。
そしてミハエルの方は……私の推測になりますが、恐らく怖かったのでしょう。
想いを告げて、それを受け入れてもらえないことがではなく。
完璧な彼女に、自分が必要以上に近づくことで、その完璧性を損なわせてしまうかもしれないことが。
己の恋など、彼女が持つ神聖さに比べれば、取るに足らぬもの。不純な芥(ちり)でしかない。
故に、想いを告げるなど不要。我は神に仕える四大天使が一人であり、その職務を忠実に、遮二無二(しゃにむに)に、一切の間違いなどないように果たしていればよい。彼女もそれを望んでいる――そんな風に自分の感情に蓋をして、閉じ込めて、決めつけてしまったのです。
――しかし、その決心が報われることはありませんでした。
いや、ある意味では最も残酷で、非道な形で彼の想いは報われることになりました。
そう……アザゼールは、恋に堕ちたのです。
それも、天界に住む天使とではない。地上に住む、一人の人間と。
言うまでもないことですが、我々天使は人間とみだりに接触を行うことを禁じられています。
それは遙か昔に起きた、堕天使と人間の間に生まれた種族「ネフィリム」の増殖・反乱を防ぐためとも言われてますし、地上の情勢や出来事に天界側の住人が介入するべきではないからと、神が禁じられたとも言われています。
しかし、なんであれ掟は掟であり、禁じられていることは禁じられていることです。
そして、それを四大天使の一人が破るなど言語道断。我々は皆一丸となってアザゼールを説得したのですが……彼女は首を縦に振ってくれることはなく、そのまま禁断の書物を持ち出して地上に逃走。恋した男の妻となり、一人の人間として過ごしたと言われています。
当然、この時、天界では未曾有(みぞう)の大混乱が起きていたわけですが……意外にも誰より冷静だったのは、当の彼女の行動に憤(いきどお)ってもいいはずのミハエルでした。
彼はこの事態に慌てることなく、常に沈着冷静に皆をまとめ上げ、四大天使としての己の職務を全うしていました。
そう、何の間違いもなく。過不足もなく。ただただひたすらに忠実に、天使として生きていた。
そしてだからこそ、我々は今回に至るまで気づかなかった。
彼が、その心の内で何を考えていたのかなど――
※※※
「長い。もうちょっと短くまとめて」
――それが、この意味深げな回想および説明を聞いて、一番に出てきた俺の感想だった。
「いや、そんなこと言われましても……」とはジブリ―ルの弁だが、要は好きな女の子に告白できなかったヘタレが、事ここに至って何やらしでかそうとして、天界から地上にランナウェイしてきただけの話だろう。何を勿体ぶって語る必要があるのか。
「……なぁ、九道さん……だったか? あいつ一体どうしたんだ? なんだか今までと全然キャラが違ってるような気がするんだが」
「いや、それがなんだか異界の電波を受信しちゃってるみたいで……たぶんこのパート終わったら元に戻ってくれると思うんで、どうかアズラエルさんも気にしないであげてください。年頃の麻疹にかかったようなものだと思って」
「そうか……あんたも結構大変なんだな……」
「いえいえ、慣れてますから」
そして俺とジブリールが話している影で、ひそひそと密談をしているアズラエルと九道……どうでもいいんだが、その話し方止めろ。なんだか大人がかわいそうな子どもを生暖かく見つめる構図みたいで、微妙に不快だ。
――というか、そもそも俺達が聞きたかったのは、ミハエルの過去の女話ではなくて。
「なんでそれに、この女が関係あるのかってことだろう」
俺は恵美を指で指して問う。そのアザゼールという女が、それからどういう人生を歩んだのかは知らないし興味もないが、ジブリールの言い様だと恐らくもうとっくに死んでいると判断しておかしくない。なんの関係もないではないか。まさかこいつがそのアザゼールの娘とかじゃあるまいし……ってあれ? 娘? え、ちょっと待って。もしかして、ねぇまさか……。
「そう、そのまさかです」
ジブリールは頷くと、俺を――否、俺の後ろに立つ女を、まっすぐに見据える。
「地上に降りた後、アザゼールは愛しい男との間に娘を生みました。その名は――星河理恵」
【――ッ――】
その名前を聞いた時、誰かの息を呑む声が聞こえた。
困惑と、当惑。そんな二つの感情が宿った声が。
そしてその声が誰のものかなど、もはや考えるまでもない。
「り、え――? え、嘘……それって……」
「そう、お前の母親の名前だ。『星河恵美』」
目を見開き、呆然とした態(てい)で後ずさる恵美をまっすぐに見つめ、アズラエルは言い放つ。
「お前は、アザゼールが人間との間に生んだ娘の娘……つまりは孫だ」