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※※※

 

 数日が経過した。休日の方が忙しいプラネタリウムでは、職員の休日は大抵平日に来るものであり、俺の休みも例に漏れなかった。

 やることがなかったが、メールで道藤に呼ばれた為に外出している。場所は九道が勤めている大学。星についての講義の際に使用するプラネタリウムの調整をして欲しい、との要望だった。

「……はぁ」

 頼まれた時に九道と交わした会話を思い出しながら、溜息をつく。

『申し訳ない。休みなのは分かってるんだけど、急に機械の調子がおかしくなっちゃったんだよね。お前さんに修理頼めるかい?』

『……切る』

『待ってくれって。そんなすぐに電話切ろうとしなくったっていいじゃないか。今度君の大好きなロールキャベツ作ってあげるからさ』

『……分かった』

『本当かい? 助かるなぁ……それじゃあ、来れる時間帯でいいから、僕の研究室に来てくれないかな?』

『分かった。ロールキャベツ、作っておけ』

『研究室で料理するのは流石に無理かなぁ』

 物で釣るのはどうかと思ったが、引き受けることにした。休日故にやることもなかったので、暇つぶしとしてもちょうどいい。たまには外出するのも悪くない。母校である自分の大学に久しぶりに向かえるというのも条件としては悪くなかった。

 

 徒歩で三十分程度の距離。程ほどに通り過ぎる車の音を聞き流しながら、俺は向かう。腕につけた時計を確認すると、時刻は午後一時を回ったところだった。ちょうど通り道の公園を横切ろうとした時に、

「……え?」

 途中で、絵描きの少女に出会った。

 平日の昼間という時間帯なのに、麦わら帽子を被って、白いブラウスを着ている少女。学生カバンを地面に置いているところから、地元の学校に通う高校生程度の少女だということが分かる。麦わら帽子からはみ出ている後ろ髪は背中まで伸びていて、地面に座り込みながら、キャンパスの上に夜空を描いていた。

 今は昼だ。間違いなく昼だ。それなのに、目の前の少女は青空を見上げながら夜空を描いている。白いキャンパスの上を黒く塗りつぶし、光輝く星々を描いている。

 俺には少女の意図が分からなかった。

「……どうか、なさいましたか?」

 気付けば俺は、少女に声をかけられていた。思わずその場に立ち止まってしまっていたらしい。

 ただ黙ってキャンパスを見つめていたら、

「この絵ですか?」

 と言いながら、筆を置いて俺の目の前に差し出してきた。俺が首を頷かせると、少女は少し顔を赤くしながら、

「私、夜空が好きなんです。だから、青空を見ながら勝手に夜空を想像して描いているんです」

「……学校はどうした」

 夜空の部分に触れようとはしなかった。

 なんとなく、これ以上『夜空』に触れてしまったらいけない気がして、俺はそのことを深く追求することが出来ずにいた。

 そして、少女にとって俺の質問は地雷だったのかもしれない。少し困ったような表情を浮かべながら、

「サボってしまいました。何となく、浮いてしまうので」

 と、答える。

 俺は何も返せなかった。いや、それ以上会話を続ける気がなかった。立ち止まっていたから始まった会話だ。どうせ動けばこの先続くものではない。

 そう、思っていたのに。

「夜空は、好きですか?」

 少女が投げかけてきた問いは、俺の心をざわつかせるのに十分過ぎる程の威力があった。

「……綺麗、だとは思う」

「……お好きではないのですね」

 たった一言、『綺麗』と称しただけで、少女はそのことを悟ってしまったらしい。遠回しに言ったつもりでも、表情に出ていたのだろうか。

「空って私達が思っている以上に、深い存在だと思うんです。夜空に輝く星々は、とても綺麗で、輝いていて、憧れです」

「……憧れ?」

「はい。私にとっての空は、憧れなんです」

 空に対して『憧れ』という感情を抱いているとは思わなかっただけに、俺は内心驚いていた。分からない。夜空に対して憧れを抱くという感情が、俺には理解出来ない。

「空は写し鏡のような気がします。まるで自分達が生きている世界を、たった一つの情景として捉えているかのようです。輝く存在もいれば、隠れてしまう存在も居ます。そんな中でも、星は誰一人欠けることなく輝いていて、星達が輝ける夜空は、私にとっての憧れなんです」

「……それは、違う」

 少女の発言を遮ってまで、俺は言いたくなってしまった。

 星は憧れるべき対象ではない。俺にとっての星は、

「……単なる、恐怖の対象」

 星は俺達に不安を植え付ける。星の輝きなんて本当に一瞬で、一番輝く星に小さな星は敵わない。誰一人欠けることなどあり得ない。不変などあり得ない。だからこそ、俺は夜空が、

「嫌い、だ」

 少女の表情が曇っている。自分が憧れだと称していた夜空を、赤の他人にここまで否定されたのだ。嫌な顔にならないわけがない。少なくとも、俺がロールキャベツを赤の他人に否定されたとしたら、同じような反応を取るかもしれない。

「……悪かった。もう行く」

 居たたまれない気持ちになり、俺はその場から離れようとする。

 その時、

「私、星河恵美って言います。貴方の名前、聞いてもいいですか?」

 相手の少女――星河恵美がそう語り掛けてくる。

「……竜ヶ崎スバルだ」

「いいお名前ですね」

 俺は少女の言葉を無視して、その場を後にした。

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